長男・けいは、乳児のころほんとうに手のかからない子でした。なんでも食べるし、飲むし、一人ででも遊ぶし、だっこも要求しないし、夜もぐっすり寝てくれるし。
なんてラクな子なんだろう!
周りの話を聞いても、けいの子育ては手がかかりませんでした。
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しかし、1歳を過ぎても喃語があまり出てこないのです。お友だちは、かんたんな要求やお手伝いができるころになっても、いっこうにやりそうな気配がありません。こちらの言っていることも理解できていないようでした。
そして、1歳半健診のとき指さしができていないことで検査に引っかかりました。
そのときはそれほど深刻には考えていませんでした。まだ1歳半ですし、健康やし、歩けるし、笑うし。周りの大先輩方は、「男の子やし、しゃべんのん遅いって。そんな心配することないと思うで〜。3歳くらいまでにはしゃべれるんちゃう?」と、言われるし、実際わたしもそう思っていました。
しかし、2歳になってもことばは出てきません。
しぶしぶ、区役所の家庭児童相談室に行きました。
そのとき、説明もなく「自閉症かも・・・」って、いきなり言われたのですが、「はぁ?なんてこと言うねん。笑うし、楽しそうやし!」と、ショックを受けるどころか、怒ってしまいました(爆)
要注意リスト(?)に登録されてしまったので、またしぶしぶ、月に一回、区役所の家庭児童相談室に通うことに同意しました。
そこで担当の人にどんなことができるようになって、どんなことをする、って報告するんですけど、これまたきっついことばっかり言われるんですね。
もう、親が納得してると思ってるのか、完全に障害児として扱われます。たとえば、「こんなことができました!(健常児より早くに)」と言っても、「あ、それは(自閉症の)特徴やから!」・・・はい、他に何か?!って感じです。おいおい、落ち込むためにここ来てるんちゃうで、わたしは!と思いながら、毎回通っていました。ただ単に、記録をとられてるだけで、すすんで話そうと思える感じではありませんでした。
あんなこんなで、何回か通ったころに次男を妊娠しました。
これ幸いにと、さっさと通うのを止めました(笑)「妊娠したので〜、ちょっとしんどいから休みます〜」と言って、ばっくれてしまいました!落ち込むことばっかり言われてたら、何のために行ってるかもわからなくなったこともあります。それに、まだけいの自閉症と言う障害を受け入れていませんでした。
そして無事次男を出産。もちろん、家庭児童相談室に通いはしません。毎日それなりに楽しく過ごしていました。「あ〜、けいちゃん早くしゃべれたらいいのにな〜」とか、お気楽に思いながら。
話は変わりますが、けいが生まれて半年ほど経ったころ、生協の共同購入に加入しました。まぁ、目的は同じマンションの子どもと知り合いになることだったんですけど。その生協仲間に知的障害児通所施設(今川学園キンダーハイム)に非常勤で勤めてる人がいたんですね。
けいが2歳半(次男3ヶ月くらい)のとき、「けいちゃん、来年どっか(幼稚園)入れんの?」と聞かれました。早生まれだったし、2年でもいいか、とこれまたお気楽に考えていたわたしは、「あ〜、2年でいいかと思って何にも考えてないですぅ〜」と答えました。きっと、ヤバイって思われてたんでしょうね。「そうなんや〜。けいちゃん言葉遅いやんか〜。親子教室来てみ〜へん?」って誘われて、集団に入れるのもよいだろう、と「そうですねぇ。行ってみましょうかぁ・・・」。
承諾したとたん?だったか。けいの言語の遅れはヤバイ(いや、実際はもっとソフトにですけどね)って話をされてしまいました。言語だけでなく、視線であるとか、自閉症的要素がゴロゴロ、と。でも、なぜかあまりショックは受けませんでした。そうかも、という覚悟は、のほほんとしながらでもできていたのかもしれません。
そして9月から親子教室(ぱんだ教室)へ。のほほん母さんも、ようやく療育を始めました。で、公立保育所へ入所するなら区役所の家庭児童相談室が担当やから、連絡は取っておいたほうがいいと言われ、復帰することになりました。「あ、落ち着いたのでまたお世話になりますぅ〜」などと、調子のいいことを言っていたのかもしれません。しぶしぶ復活したものの、家庭児童相談室に再び通い始めたことは、のちのちよい結果とはなりました。
こうして、けいの療育ははじまりました。わたしの場合、身近に詳しい人がいたのでこんなノー天気でもけいを年少になる学年の前から療育を受けさせることができました。
今思うことは、「否定しようが、せんとこうが、自閉症でなくなるわけでなし、もうちょっと本気で調べたったらよかったな」、ということです。 もし、療育を受けていて、自閉症でなかったらそれはそれで幸いやし、でも疑ってるんやったら・・・
とりあえずは行っとけ!
ということ。早期療育は大事なことだと思うし、ちゃんと調べてもらってみて安心するのもよし、でなければ早期療育の道が開けるんですから、どっちにしろ損はないです。
幼児教室に通い始めて半年後、けいは自閉症と診断されました。その日の夜、はじめて泣きました。となりで眠る、次男りんに、いずれ言葉も追い抜かれ、もしかして学習面でも、と思うとけいが不憫でならなかったからです。
でも、けいの障害に関して泣いたことは、それ一度きりです。
今は・・・。毎日笑ってます!けいも毎日楽しそうだから、泣く理由がありませんよね。
結局けいは、幼児教室でお世話になった知的障害児通所施設(今川学園キンダーハイム)に二年間通い、年長さんの一年だけ、大阪市立西喜連保育所に通いました。どこでも先生に恵まれ、特に保育所では健常児のお友だちがとってもよくしてくれました。小学校は、「絶対、母校に!」というわたしの強い希望(わがまま?)で引っ越しましたので、保育所のお友だちとはいっしょに小学校には上がれませんでした。
「けいちゃんもいっしょに小学校行けたらいいのになぁ」、と言ってくれる子や、いつもけいの近くにいて、必ずいっしょに作業してくれた子もいて、「思い切って保育所に入れてよかった」、と感じました。ちなみに、保育所に入るときは、上のほうに書いたように、区役所の家庭児童相談室の先生がかなりがんばってくれました。行っててよかったです。最後はすっかりなついていたわたしでしたが(笑)
現在、小学校でもとっても楽しくやってます。行く先々で、けいは出会う人間にとっても恵まれています。これは、わたしがうらやむほどですが、けいはそういう星の下に生まれた、といつも感じます。自閉症は自分から関係を築くことがもっとも苦手なので、周りに恵まれているということは、けいにとっては、この上なく幸せなことだと思います。
